普段から断捨離しなれてしまうと、ついつい度が過ぎた『禅』の世界みたいになりがちです。
もちろん、『禅』の世界は美しいもの。
断捨離し過ぎで勃発する問題点は「さっぱりし過ぎ」とか「度を超えたさっぱり」という状態をさしています。今日はその事について考えてゆきたいと思います。
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今日も洋服の断捨離
昨日はたのしみに待っていた、変形クローゼットの中に置く「棚」の配達はなかったのですが、冬物のクリーニングが戻ってきましたので、ちょっとクローゼット内を整理しました。
クローゼットを見直し片付けるきっかけがあると、いつも「断捨離する洋服はないか?」とチェックするようにしています。
もちろん、ありました!断捨離候補。買った時から「いつ着るのかな〜?」と疑問におもってた、真っ赤なニットワンピースもその一つ。
やはり予想通り、ほとんど着ていないワンピです。
なんだかね。40代のときに買ってた洋服って、50代になると似合わなくなってしまうんですよね。ちょっとの差なのに、なぜでしょうね!?
自分の思い込みもあるのかな!?
あとは、体型の変化とか!?(〃∇〃)
皆様はいかがでしょうか!?
こういった事情もあってか、セミアの場合は50代になってさらに洋服の断捨離がすすんでおります。
心の潤いが枯渇せぬように
こんなふうに、断捨離をよくするようになってから、一つ気をつけていることがあります。
それは『「捨てること」がメインの人生にならないようにすること』です。
「今度は何を捨てようかな!」と、いつも考えていると、何事においてもそのような考え方、それと同じ感覚で物事を選択してしまうように習慣づいてしまうと思うんですよね。
そうではなくて、
常に、心にとどめておくべきは『残しておくものは、どれにするかな』という視点。
今後の人生を、共に歩んでゆきたいモノはどれ?
そういう意識をいつも持っていたいです。
それは、洋服さんもそうだし、本だって食器だってそう。
そうしていれば、その他のこと、例えば人間関係とか、仕事とか、あらゆる場面でそういう本質的な選択ができるようになると思う。
頭ではわかっていても、その場面になると、できないこともいぱいあるからね。
常日頃からそういう意識でいる事が大切だとおもう。
持たない暮らしの醍醐味を味わうには
特に、私がよくないよな〜って思っちゃうのは、「鉛筆なら3本まで」「ハンカチは3枚だけ」とか、個数限定でそれ以外は持っちゃいけないとか、○個はとっておいてあとは断捨離せねばならぬとか、そういう感覚でモノを減らしてゆくやり方です。
そういうガイドラインがあれば、確かに断捨離はしやすいと思います。
でも、そのやり方を採用しちゃうと、心がカツカツになって乾ききっちゃうんですよね。
捨てる時に物悲しい気持ちになってしまったりもするし。
それじゃ、ハッピーなミニマリストにはなれない。
そもそも、持たない暮らしをしたいと願う人が多い理由は、「少ないものだけ “でも” 幸せ」っていう感覚よりも、「本当に大好きなモノ “しか” 持ってないから幸せ」っていう事なんじゃないかな。
それを体現させるためには、やっぱり『どのモノと一緒に生きてゆきたいかな』って視点を自然に身につけることですよねっ。
片付け途中で止まってます
なぜだろー!?「本日発送しました」という連絡がきた棚が、まだ届いていませぬ。
なので、階段下の変形クローゼットの中身が全部外に出っぱなしになってます。
このままで週末過ごすことになるのかなぁ〜。ま、いっか。
みなさま、
良い週末をお過ごしくださいませ〜(*´∀`)