断捨離をしても精神的に辛くなる、という相談をいただきました。
断捨離するとスッキリして気持ちいいんじゃないの!?なぜワタシはそうならないの!?という疑問を持ったというのです。
その原因は『注目するポイント』が間違っているから、ではないか?とお見受けしましたので、今日の記事はそのことについて。
この記事の後半で、『どこに注目すべきか』について書いてみたいと思います。
人は「意識してること」で生きている(できている)、と言っても過言ではありません。
ですから、まったく同じことをしていても、やってる行動の『意図』が違うと、結果も違ってきます。
『注目するポイント』が違うと、結果だけならまだしも “気分” も格段にかわってきてしまいます。
不幸なミニマリストになっては本末転倒
☆「持たない暮らし」に憧れて。
☆スッキリとしたお家でシンプルライフを送りたくて。
☆ミニマリストとして環境も思考もフォーカスした人生を送りたい。
そのような人生を創ってゆく道のりを歩む方々にとって、超NGな考え方を列挙してみます。
×「毎日1つでも何か捨てろ」
×「とにかくモノを減らせ」
×「△個だけ残して後は処分せよ」
このような意図をもって断捨離したら、後から虚無感に苛まれるパターンに向かってしまうのではないでしょうか!?
少なくとも、私の周りで勢いよく断捨離をはじめた人の中で、心に冷たい風が吹き荒れている人がいます。
ガラクタを減らすことに関連する書籍などを読んで、そのままをやった結果、そうなってしまったのだと。
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心が豊かなミニマリストに
そもそも、「捨てる」っていう言葉自体に刺があるように感じてしまいます。
中国の哲学者であり儒教の祖である孔子がが、「全ての事象は陰陽から成り立っている」と提言しています。夜が陰で昼が陽。受け身が陰で能動的が陽。
さしずめ、「捨てる」が『陰』ならば、「残す」は『陽』でしょうか。。。
「捨てる」と「残す」は、表裏一体。
ですが、この二つは真逆の事象ですね。
【捨てる】という言葉
「捨てる」をメインテーマに生活していると、殺伐とした感覚を得る瞬間が、たまに訪れることがあるかもしれません。
普通に生活していてゴミを捨てるという使い方意外にも、「断ち切る」という意味あいとしても使われたりします。
「家族を捨てた人」
「夢を捨てた」
「昔の友達を捨てた」
なにやら、殺伐とした空気感が漂ってしまいそうな言い回しですね。
「断捨離を日々の習慣にする人」の中で、この「捨てる」を中心に動く人がいます。
私にご相談を送ってくださった方も、このパターンでした。
【残す】という言葉
同じ断捨離という行動をするならば、「捨てる」よりも「残す」に注目した方がよりベネフィットがあります。
「残す」という言葉に対して、日本人はポジティブなイメージを持っているように思えます。
「お婆ちゃんの着物を残して仕立て直した」など、「残す」という言葉は「大切にする」というイメージが含まれているのではないでしょうか。
断捨離する目的は、これからも大切にしたいモノを「残す」ため。
ここからブレないように、ガラクタ処分をしてゆくのがいいのではないか、と思います。
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モノを大切にしながら暮らしたいから断捨離
断捨離をすることは、「ガラクタを見極める作業」とも言えるのではないでしょうか。
その際に、選択するときの指針として『残す』ものを選び抜くようにしたいものです。
「捨てる」を念頭において断捨離をしたら、ご相談者様のように終わったあとに悲しい気持ちに見舞われてしまうかも。
これは、幸福感の多い人生を歩むうえで、非常に重要なポイント。
断捨離という、まったく同じ作業をしているのに、注目するポイントが違うだけで、人生のクオリティーに雲泥の差ができてしまうのです。
ほんとうに、ちょっとしたことなので見過ごしがちです。
モノが多いな〜、減らしたいな〜、と思ったら即『これは残すモノかな?どうかな?』と、自分に問いてみてくださいね。
そのように、ご相談者さんにお話しさせていただきました。
そしてこの人は、もう一度ゴミ袋からモノを出してきて、この問いかけをしながら選別作業をし直してくださいました。
その結果、「自分自身の心が満足感で満たされる断捨離になった」と報告してくれました。
私も嬉しくなりました♡
このブログで繋がってくださった多くのみなさまにも、幸せの輪が広がりますように〜♪
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