シンプルライフからかけ離れてしまった、汚部屋やゴミ屋敷の原因は意外なものだった

汚部屋やゴミ屋敷が、ときどきマスコミでも話題になります。現在、日本全国で25万件のゴミ屋敷が存在するという統計が出ていました。

先日も、3階建てのゴミ屋敷をレスキューする特集を見たばかり。小さな家からゴミが溢れ出てるのではなくて、大きな3階建ての家からはみ出ているのですから、それはそれは壮絶でした。
 

ゴミ屋敷住人と一般の人との共通点

日本でのゴミ屋敷の主は、一人ぐらしの人の数が圧倒的に多いような気がしています。この3階建てのゴミ屋敷のケースもそうでした。

地域の人たち、行政(市の職員)などが、片付けのヘルプにきてくれているのですが、家の主は戦闘態勢です。怒れるオオカミのように、助けようとする人々に牙をむいていました。だから、いっこうに片付けが進みません。

家主のおもな主張は、「俺のモノに触るな!」「勝手にもってくな!」ということ。要するに、「片付けは自分でやりたい」ということでした。

このような状態に陥ってない一般的な人たちも「片付けは自分でやりたい」という同じ想いを持っていますよね。お部屋を片付けられない小学生でさえ、同じ主張をしてきます。

そう。みんな「片付けは自分でやりたい」んだ。

でも、それができないのだから、もしそこから抜け出なくてはならないなら、きちんと「病」として扱わなければならない。

では、これは何の病なのか!?
 

ゴミ屋敷をほんとうに助けたいなら

病といっても、ウィルスに感染しているわけではないし、怪我があるわけではない。ゴミ屋敷の病は「心の病」と言えるだろう。

だから、片付け方のハウツーを教えてあげても仕方がない。技術的な力が無いために起こっている事態ではないからだ。

また、手伝ってあげる方も「できないんだったら一緒にやってあげるよ」という、親切心だけではサポートできない様だ。病の人を親切心だけではなおせないように。

シンプルライフを目指す、ミニマリストのセミアは『モノ・ヒト・コト』との関係性を見直すことが本物の片付けだと考えています。「自分と全てとの『関係性』がスッキリしている生活のこと」をシンプルライフと定義しています。

ゴミ屋敷状態に陥ってるヒトは、モノをはじめとする様々なこととの「関係性」が病んでいるともいえるのではないでしょうか。

先日も、ゴミ屋敷問題に取り組んでいる大学教授が話していました。『ゴミ屋敷状態に陥ってる人は、心理的な葛藤を抱えていて、人間関係に問題があるケースがほとんど』と。

例えば、小さな時に実家が非常にきちんと片付いており、母親が潔癖性で、常に「ちゃんと片付けなさい!」と、いつもいつもキツく怒られていた人が、将来、ゴミ屋敷病に陥るケースも多いのだとか。

異様なほどに「きちんと片付けなさい」とキツく言われて育ったヒトなどが、汚部屋の住民になることもあります。

その逆のケースも見たことがあります。母親のモノを溜め込む癖がゴミ屋敷を作り、そこに住んでいることが苦痛でしかたがなかった幼少時代を過ごした女性。大きくなってからは「捨てる病」にかかってしまい、大事なものまでもどんどん捨ててしまうため、人間関係がうまくゆかなくなったり、離婚したり、というケースです。
 

ゴミ屋敷の住人の根本的問題

ゴミ屋敷の住人の大きな問題。それは『孤独』であること。一人暮らしの人などいくらでも存在するのですが、一人暮らしだからといって孤独になるわけではないですよね。

『孤独』になる人は、社会や地域から『孤立』している人です。ご近所づきあいも交友関係もない。自分が家族と呼べるような存在がまったくいない。そういう『孤独』が、モノを溜め込む症状を生み出しているケースも多々あり、モノを大量に持つことによって擬似的な「安堵感」を持つのです。

人との関係性、モノとの関係性、が崩壊している状態なのが、ゴミ屋敷の主ともいえるかもしれません。
 

まず修復しなくてはならないこと

ゴミ屋敷の人をサポートしたいなら、まずは『人とのつながり』は、安全で安心なんだよ、ということを実感させてあげること。これがまず最初に大切で、最後まで大切です。再発防止のカギを握っています。

彼らがモノとの関係性を上手にあつかえないことに対して攻撃するのは、ぜったいやってはいけないことですね。

「周囲のみんなが迷惑してんだよ!」とか言ったら、よけいにモノを溜め込むようになってしまいかねません。彼らの幼少期の体験を再現し、トラウマをほじくりかえすことになってしまうかも。

片付けは周囲の人のためにやるのではないのですから。

片付けは、自分自身の『人生』を整理するために行うもの、ですよね。

サポートしてあげたいならば、ゴミ屋敷住人とコミニュケーションをとったり、モノとの関係性についていろいろと質問し、話しを聞いてあげる。まず「信頼関係」を構築することが、一番大切なようです。

そして「片付けが終わったからそれで終わり」というのでは、病が再発してしまいかねません。

モノとの関係性をうまくつくってゆき、モノの片付け=人生の片付けが終わったら、そこからどう生きてゆきたいのか?をなんとなくでも考えることをしなくては、元に戻ってしまいます。

「片付けが終わって、その後、地域の人たちとどう繋がってゆくか?どういう関係性をつくってゆくのか?」を、みていってあげることが重要であると、先の大学教授も語っていました。
 

アメリカでもゴミ屋敷問題が

日本と同じようにというか、日本以上に消費大国でモノが溢れ帰っているアメリカでも、同じ問題に直面しています。

そして、これらの人々の病を称して『Compulisve Hoarding Disorder』と呼ばれています。「強迫観念的な溜め込み症候群」とか「何かにとりつかれたような溜め込み症状」に陥ってるというニュアンスですね。

汚部屋やゴミ屋敷を次々にレスキューしてゆく様子を放映するテレビ番組もあります。Hoarding(モノを溜め込んでる状態)という言葉が使われていて、「溜め込み状態を葬れ」みたいな、そんな感じの番組です。

また、アメリカにはこういったゴミ屋敷の住民たちをレスキューする団体やプロジェクトが多く存在しています。

Chamber of Hoarders

ゴミ屋敷はいろいろなものが重なりあっているし、自然発火しやすい状態にあります。また、ゴミ屋敷が火事になったら、大変です。逃げ後れたら命に関わってくるし、なにより燃え方が半端じゃなく凄まじいのでは。大切なものをすぐに取り出して持って出ることも不可能に近いでしょうね。そして、消防署員がきても中に入って消火活動ができません!
 

これは社会問題です

ゴミ屋敷は、本人の問題だけではなく、周囲の住民にとっても生死に関わる重大問題。そこで、日本でも行政が動いています。250の市町村において、ゴミ屋敷問題を抱えています。

行政の取り組みによって、再発ゼロを維持しているところもあるそうです。

いくつかの自治体では、ゴミの強制撤去が可能という法令ができています(東京都足立区、大阪市、京都市)。

また、ゴミ撤去にかかる費用は、足立区や大阪市では『公的負担』(京都は自己負担)。

「勝手にゴミを溜め込んできたのに、俺たちの税金つかうな!」と思ってしまいますが、公的負担にした背景には、このゴミ屋敷問題は個人だけでなく社会問題になりつつあるから、ですよね。

家の主の幼少の頃のトラウマが原因でそうなってしまったかもしれませんが、それはタネに過ぎず、モンスターに育ててしまったのは、この資本主義社会、買わせる文化も加担しているのではないでしょうか。

だから、何かのおりにゴミ屋敷についてみかけたら、「自分には何ができるかな」と考えるようにしています。

目の前で起こっていることは、自分と関わりがあることなのですから。
 
以上、なぜかシンプルライフからかけ離れてしまって、汚部屋やゴミ屋敷になってしまう意外な原因についてお話させていただきました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!
 
 

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