
つい先日、インスタグラムをフォローしてくださっている知人のDさんが、「セミアさんのお家はいつもスッキリしててイイですね」と言ってくださいました。
そして「私の家はモノで溢れているの。だからセミアさんがうちに来たら具合が悪くなっちゃうと思うわ。足の踏み場がないぐらいにヒドいのですよ。」と、おっしゃるのです。
Dさんは手作りでさまざまな作品を創っている素敵な女性です。
大切な創作活動に使うモノや道具に囲まれているなら、素敵なライフスタイルだと思うのです。
だからこそ、彼女が言ったことがちょっと気になってしまいました。
まるで、モノが沢山あることが悪いような?そんな言い方に聞こえたからです。
モノの量は価値観で決まる
モノの扱いについて、他人からとやかく言われるのって嫌なものですよね!?
どんなモノをどのくらい所持するか?は、その人の価値観に基づいてやっていることなのですから。
私の場合は、現在はできるだけ少ないモノで暮らしたいと希望しています。
何故ならば、たくさんのモノがあると創造性が混乱して良いアイディアが出てこなくなってしまうからです。おまけに集中力も欠如してしまうので、気が散ってすぐ他のことに目移りしてしまうのです。
無用なモノを買わされてしまった自分を許し、使ってないモノはどんどん断捨離すると決めてます。
私の価値観の中での優先順位は「クリエーティブな意識状態をキープすること(それに集中できること)」が一番なのだと思います。それを達成するためにミニマリズムを取り入れているわけです。
人によって優先順位の一番が「何か?」は、まったく違います。
Dさんの価値観の優先順位は聞かなかったので知りません。
もしかしたら、彼女もクリエーティブな意識状態を保ちたいと思っているかもしれません。ただ、Dさんの場合はクリエートするのに道具や材料がいっぱい必要なのです。
それにもしかしたら、周りにモノがいっぱいあった方がクリエーティブになれるのかもしれません。
でも他人が一番だいじにしている価値観は何か?は、第三者には知る由もありませんね。
それぞれの価値観によって、家の中にあるモノの量が違う。
Dさんはマキシマリストでいることで心地よく生活でき、私はミニマリスト思考ですっきりした暮らしが気持ちいい。
自分を信じて自分の価値観に従って生きていけたら、本望です。
モノが捨てられない自分を卑下するのは
実は、Dさんと同じようなことを発言する人に、ときどき遭遇しています。
すっきり暮らしたい人は多いのですが、そんな方は我が家に来ると「私も片付けたくなったわ!」と言ったりします。
そのような人たちとは逆で、「うちはダメダメだ..!」と、モノが捨てられない自分を卑下したり、片付けられないことに罪悪感を持ったりする人も中にはいらっしゃるのです。
実はこれ、日本人の特徴でもあるようです。
欧米では、モノが捨てられなかったり片付けができてない人の場合でも、自己卑下や罪悪感に繋がることはあまりないケース。どちらかというと、ミニマリストの方が「ヘン人扱い」です。
それに対し、日本ではモノをすっきり処分できていて、シンプルにミニマルに暮らしている人を賞賛する傾向があるように見受けます。
どうしてなのでしょう?
戦後のように「贅沢は敵」という考えがいまも浸透しきっているのか?はたまた「質素倹約を美徳」とする考えが未だに受け継がれているのか!?
もしくは、禅の心が日本国民の無意識に浸透しているからなのか!?
価値観の優先順位をはっきりさせる
日本人が「モノが少ない暮らしを実践できている人を賞賛する」傾向にある理由は、はっきりとはわかりません。
大切なのは、風潮とか傾向とかそういったことに、のみこまれないことです。
とにかく自分の価値観というものをはっきりさせておいた方が良さそうなことは確かです。
たくさんのモノを身の回りに保持し大切にしていきたい人は、誰がなんと言おうともそれを貫き、これ「が」いい!と叫ぼう。
できるだけ少ないモノだけで暮らしたい人は、ヘン人と言われようとも、これ「で」いいのだ!と言おう。