
断捨離というものは、熟達していけるものです。
一度その域(断捨離にこなれ感)に達してしまうと、自分にとって必要じゃないモノを即座に手放すことができる体質になります。
そういった意味では、自転車乗りのようですね。
一度、自転車に乗れるようになってしまうと、長年乗っていなかったとしても、いつでも乗れるから。
こなれ感、とは?
「断捨離に “こなれ感”」って一体なに?と思った方もおられるかもしれません。
✑空気感
✑抜け感
✑とろみ感
✑透け感
✑こなれ感
これらは、若い女性の読む雑誌に出てくる、意味がわかるような?わからないような?造語たちです。
ただ、造語というより普通の「言葉」として少しづつ定着してきているのかもしれません。なぜなら、辞書にも載っているから。
言葉は進化していくものですから、アンテナを張っていないと、しゃべっていて「古い人感」が出てしまいます💦
「こなれ感」という言葉は、スタイリストの人が使っているのを聞いたのが最初でした。はじめて聞いたとき、「小慣れているって意味かしら?」と思っていたのです。ちょっと慣れてきたとこ、って感じです。
ところが、辞書で調べてみるとそれは間違いだとわかりました。
漢字で書くと「熟れる」が正しいのだそうです。
👉物事に熟練し、無理なく思いのまま運用できるようになる
👉調和のとれた状態になる
👉落ち着いた状態になった様子
ちなみに、ファッション用語として使われるときは、『無理して着ているのではなく、周りの環境にフィットし着心地の良さも兼ね備えた、シンプルでおしゃれな着こなし』とか、『着慣れているなーという雰囲気の着こなし』のような意味で使われているようです。
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断捨離にこなれ感が身につくとは
さて、断捨離にこなれ感があるとは、一体どういう意味になるなのでしょうか!?
ここでは、「断捨離することに熟れている人」という意味で使ってみました。つまり、断捨離をすることに熟練しており、無理なく思いのままに断捨離できている状態のことです。
一度この域に達した人が、体調不良で体を動かせなくなったとします。部屋の片付けなどできません。ゴミ捨てにも行けません。
その結果、お家の中が汚部屋に近い状態になってしまった、とします。
このような状況に陥った場合でも、この人はかつて熟達の域まで行った人なので、体調不良が回復したら再び断捨離にこなれ感がある状態に難なく戻ることができます。
これは一種のスキルのようなもの。
ミニマリストであろうが、シンプリストであろうが、「断捨離にこなれ感がある人」は 、選択する時の素早い判断力が身についています。
量の少なさ多さは関係なく、選ぶか捨てるかの選択がすぐにできるかどうか?が熟れて(こなれて)いるのです。
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ミニマリストがしているたった1つの方法
一度、断捨離こなれ感が身につくと、自転車乗りと同じで二度と失うことがありません。
だけど、身につける時に乗り越えなくてはならない儀式があります。
これを行うことに多くの人は躊躇してしまう。
たった一度だけでいいのに...。
ミニマリスト達がしているたった一つのこと、それは『自分の持ちモノの量を目の当たりにする』こと。
なぜ、そんなことが必要なのかというと、びっくり仰天するためです(あ、これ昭和のコトバでしたね)笑。
人は本来、なかなか変わろうとしない本質を持っています。
変わるためには、大きな刺激が必要です。例えばこのような事。
😲ショッキングな出来事に遭遇する
😮大自然に圧倒される感動的な体験
いずれかの体験をすると、人は自然に変わると言われています。
例えば、刑務所に入る、ひどい大失恋をする、家が火事になる、などショッキングな体験をするか、もしくは、手つかずの大自然の中に身を置いて圧巻されたり、自分も自然の一部なのだと気づけたとき、などです。
この原理と同じように、「断捨離にこなれ感のある人」に変わるためには、自分の持ちモノの量の多さに大ショックを受ける必要があるのです。
具体的には、モノを一箇所に集めてみること。
洋服の断捨離をするなら、春夏秋冬の洋服を含む全ての衣類を一箇所に集めて山にしてみるのです。
その山をしみじみと眺めてみる。
その山の中から、一枚づつ手にとってみて「選ぶか、手放すか」を吟味していきます。
途方に暮れてしまう作業です....
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大量に捨てなくても大丈夫
「家の中にモノの山なんか作れない!」という方もおられますが、それは、現状がそのくらいのヒドさだということなんですよね。
そのヒドイ状態を目の当たりにしないから、ヒドイ状態が延々と続いてしまうんです。
モノの山を見ることは、とってもショックです。
今まで何やってたんだろう!?と思ったりして。
ちなみに...
これをやらずに、ただ単に断捨離をバンバンやっていくやり方ですと、残念ながら「こなれ感」は身につかないです。
何かあったら逆戻りしたり、文具はすぐ断捨離できるけど、洋服はできない、といった偏りが出てくるのです。
だから、一回だけ勇気をふり絞ってみることはかけがえのないこと。
大量のモノを一気に捨てなければいけない、などという決まりはありません。
勇気を出して「ぜんぶのモノを出して山にする」→「そこから捨てるもの残すものの選別を1つ1つやっていく」。
ただこれをするだけ。
もし、モノの山を見てショックを受けたなら、あとは少しづつ捨てていけばいいのです。この方法でもやがて「こなれ感」は身についていきます。
でも、モノの山を目の当たりにしなかった場合は、たとえ大量に一気に断捨離を行ったとしても、こなれ感は手に入れられない。
モノを捨てることに恐怖感がある方は、頭の片隅にでも置いてみてください。
怖いことなど何もなく、ただ1回ビックリしちゃうだけです!
こなれ感が手に入ったあとは、笑い話になってしまいます。