こんにちは!(⌒‐⌒)大切なことを一瞬で見極める心豊かなミニマリストをめざす、セミアです。
『想い出の品』を断捨離したいけど手放せず困っている、という方のための話題です。罪悪感のカラクリと記憶の仕組みを知るだけで、気分がスッキリするかもしれません!
関連トラコミュ:断捨離でゆとり生活
先日、こんな統計を目にしました。
「ランドセルを家のどこかにまだ持っている人はどのくらいいるのか!?について調べた、アンケート結果です。
なんと!全体の80%以上が、小学生時代に使っていたランドセルを、未だにとってあるというのです。
おそらくこの数字の中には、実家に置いてある人も含まれているかと思いますが、それにしても驚きの数値です!
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子供本人の記憶の中でも、はじめて学校に通いはじめるという出来事は、それまでと比べてそうとう大きなインパクトがあるはず。
私もいまだに、一年生の初日の授業の様子を覚えています。幼稚園との違いにとても驚きました。
では、インパクトが強いから80%もの人がランドセルをとってあるのでしょうか!?それほど多くの人々が、小学生時代にそうとう良い思い出があるのか!?
おそらく違うのでは?と考えています。それがランドセルを捨てられない主な理由ではないですよね。
コレを先に断捨離せねば
ランドセルを含む「思い出の品」を捨てられないのは、このような問題が妨害していることがあります。
罪悪感
罪悪感というのは、誰もが持っている感情のうちの一つです。
罪悪感とは、ある特定の「ルールや規範」もしくは「常識」から逸脱している自分を、責める感情です。
人は生きてゆく中で、さまざまな人の多様な価値観に出逢い、影響を受けながら自分なりの価値観を作り上げて行きます。
そんな旅路の中で、罪悪感は培われてゆきます。
- 人には優しくしなければならない
- 親を大切にしなくてはならない
- モノを大切にしなくてはならない。
- お金の無駄遣いはいけないこと。......などなど
このような大人の考え方を子供に教えてゆき、価値観としてしっかりと根付いてゆきます。
その際に、さじ加減は教えてもらうことが少ないです。
例えば、「人には優しくしようね。でもね、自分に優しくないと人には優しくできないよ。自分も人も大切にしようね。」と、そこまで詳細に教えたりはしないですよね。
ただ単に、「お友達には優しくね」と言われるにとどまります。
すると中には「自分を犠牲にしてでも(我慢してでも)、他人に親切にせねばならぬ」と、はき違えて理解する子供が何パーセントかでてきます。もしもそれができなかったとき「自分は悪い人」という判定をくだします。
同じく、「モノは大切にしないといけないよ」とおじいちゃんに教えてもらった子供。
「捨てる行為はモノを大切にしてない行為」と、はき違えて理解する子供の数もそうとう多いはずです。
(過去記事)
「黒い洋服ばっかり着ている人はいますか!?ミニマリスト的には何色の服を着るのがいいのか!?」
思い出とは、エピソード記憶のこと
長期記憶には2種類あります。
①体で覚える「手続き的記憶」
自転車乗りなど、「運動連合野」の指令によって結果を再現する潜在的記憶。条件づけ,手業、馴化など。
②頭で覚える「宣言的記憶」
学習記憶の中から意味を再現すること。学んだこと、感情が伴った記憶など以下のAもBも含みます。
A):意味記憶(書的記憶)は、学校の勉強や試験のときにつかう記憶のこと。
B):エピソード記憶は時間軸のある個人的経験の記憶。これを思い出と呼ぶ。
同じ記憶でも種類が違うのですね。
たとえば記憶喪失の人は計算などはできますし自転車も乗れる。忘れているのは②ーBの「エピソード記憶」です。エピソード記憶は感情を伴った記憶です。
(過去記事)
「大好きなモノに集中してたら、断捨離すべきトキメかないモノがいっぱい見えてきた!」
記憶はねつ造されている!
『記憶』というのは、録音した音楽のように保持しているものとか、写真のアルバムのように保存してあるもの、と思っている人が多いですが、実は違います。
『記憶』というのは、想起するたびに作り替えられているものなのです!
わたしたちが昔あった出来事について想いを馳せているとき、想い出という「情報」の再構成が行なわれています。
このような再構成からできあがるのが『記憶』です。それは、実際に体験した出来事とは同じではない!
思い出すたびに、記憶がちょっとづつ変えられているのです。
だから、今私たちが「想い出」だと思っていることは、100%本当のことではないということです。
記憶を思い出す手掛かりとなる「情報」と、出来事を体験したときに保存された「断片的な情報」を元にしてにつくり出されたものが記憶である、ということになります。
なぜ、思い出の品が捨てられない!?
「ランドセルを捨てたいのにどうしても処分することをためらってしまう」という人は、ねつ造された「思い出」と、子供の頃に勘違いしたために根付いた「罪悪感」とが混ざりあってしまい、なぜか手放すことに抵抗感が出てしまっているのではないでしょうか!?
私自身は、中学に入るときにランドセルは断捨離しています。もう二度と使わないモノだからです。
ときめかない洋服でも「また着るかも」といってとっておく人もいますが、ランドセルはどう考えても「また使う」日はきません。
「でも〜、ご近所で誰か欲しい人がいるかもしれないし」という考えが浮かんでくる人は、「人には親切にしなくてはならない」の呪縛によって、自分自身の人生を複雑化させ自分を困らせていることに気づいてないのかもしれません。
(過去記事)
「ミニマリストの言い分、私たちは丁寧な暮らしをするために断捨離し続けている!」
ランドセルを違うものに作り替えるサービスは
「お婆ちゃんに買ってもらった思い出のランドセルだから捨てられない。だから、ミニランドセルに作り替えて取っておこう!」という人々のためのサービスがたいへん好評だそうです。
また。ミニランドセルだと使えないから、ランドセルの皮を使ってブックカバーやトレーなどに作り替えてくれるサービスも出てきました。
思い出を大切にしたい人達にとっては、とても便利なサービスですね。
しかし、このブログのテーマは断捨離や持たない暮らしのためのミニマイズ化。。
読者様は「思い出の品を断捨離したいのにできないから困っている」、という方が多いのではと思います。
そのような皆様には、ランドセルを作り替えてまで取っておく行為はおすすめできません。
それは、「ランドセルをとっておいてる」ことと、同じことになるからです。
「思い出の品に本当の意味で向き合っていない」という可能性について考えてみるのはいかがでしょうか!?
思い出の品を断捨離したいなら
「罪悪感のカラクリ」と、「記憶のねつ造」についてあらためて左脳的に吟味してみたら、次にすべきことがあります。
それは、「どんな暮らしがしたいのか!?」について、具体的に考えてみることです。
「ハッピーで家族仲良くがいいな」というのは、具体的ではないです。
では、ランドセルのような『思い出の品』を断捨離するときのステップをまとめます。
ステップ(1)
「自分の持っている思い込みは?罪悪感はどんなもの?」かを考えてみる。左脳で記憶や罪悪感について理解する。ステップ(2)
「このような立地でこのような家に住みこのような人とこのような暮らしをしている」というリアルな理想の暮らしを決意する。ステップ(3)
思い出の品を両手で抱えます。「このモノは、自分の理想の暮らしに必要ですか?」と自分自身に問いかけてください。
丁寧な暮らしをしたいなら
皆様は、ランドセルをまだ持っていますか?
捨てられない思い出のモノはありますか?
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